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关于此艺术家
Zabadak
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85年、当時24歳だった吉良は、4年間つづけたハコバン(死語だなあ)に消耗しきって、音楽に対する愛情も熱意も失いかけていた。「もういいやあ、ギターも歌もどうでもいいやあ」とウミウシ状態になっていた吉良に、古い友人が「これ、聞いてみ。」と、渡してくれたのがKATE BUSHの「DREAMING」。 なげやりな気分で聞き初めたのに針が最後の溝を刻んだ時には、自分が投げられたやりになったような気分だった。分かりにくいでしょうが、そうだったのです。翌日バンドに辞表を出し(出さんなあ、普通)、貸スタジオにこもり、数週間で作ったテープを、同じような仕事をして、同じように煮つまっていた上野洋子に聞かせると、これがもうバッチリだったのである。なにがどうバッチリなのかよく分からないが、まあバンドなんてえものは、そんなふうにして出来上がってしまうモノなんじゃあございませんでしょうか? コンテストにでたり、CMやったりするうちにデビューが決まり、もう一人のメンバー松田克志を迎え、レコーディングもトトトーンと終り、さあ出そう、さあ売ろう、ところが…、無かった。 何が無かった?なまえが無かった。そう、バンドの名前がまだ決まっていなかったのである。自分たちの音楽に何かを見つけた三人はもう有頂天で、それに呼び名を付けることには、とんと頭が回らなかったようである。今日じゅうにできなきゃデビューも見送り… 了解更多
85年、当時24歳だった吉良は、4年間つづけたハコバン(死語だなあ)に消耗しきって、音楽に対する愛情も熱意も失いかけていた。「もういいやあ、ギターも歌もどうでもいいやあ」とウミウシ状態になっていた吉良に… 了解更多
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