バイオグラフィー
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活動期間
1981 ~ 1988 (7 年間)
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出身地
Takasaki, Gunma, 日本
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メンバー
- 布袋寅泰 (1981 – 1988)
- 木村マモル (1981 – 1981)
- 松井常松 (1981 – 1988)
- 氷室京介 (1981 – 1988)
- 深沢和明 (1981 – 1982)
BOØWY(ボウイ)は日本のロックバンド。1980年代に活躍。1981年結成、1987年解散。
《メンバー》
氷室京介(ひむろ きょうすけ):ヴォーカル
布袋寅泰(ほてい ともやす):ギター、コーラス
松井恒松(まつい つねまつ):ベース
高橋まこと(たかはし まこと):ドラム
木村マモル(きむら まもる):ドラム
深沢和明(ふかざわ かずあき):サックス
諸星アツシ(もろぼし あつし):ギター
《略歴》
8ビートを基調としポップでありつつもシャープでエッジの効いた縦ノリのロックサウンドや、ジャン=ポール・ゴルチエをステージ衣装に使用したり、今日のロックシーンでは当たり前となった逆立てたヘアースタイルなどの斬新なビジュアル等が多くの支持を集め、5thアルバム『BEAT EMOTION』と6thアルバム『PSYCHOPATH』は当時のロックバンドのアルバムとしては異例のミリオンセラーを記録した。シングルでも1987年に『MARIONETTE』が初登場1位を記録し、名実共にトップバンドへとのし上がった。
テレビ番組への出演は少なかったが、デビューして間もない頃に、ドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ)に出演している。その後も音楽番組などに数回出演している。
『夜のヒットスタジオ』に「ONLY YOU」で出演した際に、司会の古舘伊知郎から軽い扱いを受けたことが原因か、テレビ出演は1986年12月を最後に途絶えた。
音楽雑誌に掲載されたインタビュー記事も少ない。数少ないインタビュー記事は、ブレイクする以前から懇意にしていたライターや、自分たちの音楽をよく理解してくれていたライターの雑誌に限定されていた。
このような姿勢はマネージメントスタッフも同様であり、BOØWYを本当に聴きたいオーディエンスの席が減ってしまうという理由から、ライブは基本的にメディア用の招待席が用意されなかった。その為、著名な音楽評論家が関係者入り口で門前払いにされたり、レコード会社の重役がファンに揉みくちゃにされながらライブを観るといった珍事が続発したという。
布袋は本当は別のバンドに加入したかったが、地元で有名な不良少年の氷室が怖くて断りきれなかったと告白している。群馬時代から布袋が組んでいたバンドのボーカリストは、後にBOØWYのマネージャーとなった。
松井は織田哲郎&9th IMAGEのベーシストとして既にデビューしていたが、旧友である氷室が新しいバンドを結成しようとしていることを知り、ミュージシャンとしての安定した道を蹴って氷室と布袋に合流している。
氷室はバンドを結成した当初は、英会話教材のセールスマンをしていた事もある。営業成績も優秀だったという。しかし、車の誘導のアルバイトでは車をぶつけ、パチンコ屋では台を壊し、ゲームセンターでは出勤3日目には先輩を見切り一日中ゲームをして遊んでいたというエピソードもある。氷室と布袋はなかなか定まった仕事に就かず、女性のヒモ同然の暮らしをしつつ、バンドの活動資金は高橋と松井のアルバイト代で補っていたそうである。
氷室は当初、“狂介”という芸名であったが、京都の占い師に“狂”という字は使ってはいけないと言われ、現在の“京介”に改名した。改名後売れたため、以後、もう占いをしないと決めたらしい。
松井は高円寺にあった「ミント」という喫茶店のマスターをしていたが、店がバンドの連絡所も兼ねていたため、売り上げが上がらず潰れてしまった。
高橋が他の5人と初めて「IMAGE DOWN」を演奏した際、演奏開始のカウントがあまりにも大声だった為、松井が笑い出してしまい、演奏が中断してしまった。
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