バイオグラフィー
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活動期間
1968 ~ 1983 (15 年間)
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出身地
Downey, Los Angeles County, California, アメリカ合衆国
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メンバー
- Bob Messenger
- Danny Woodhams
- Douglass Strawn
- Earle Dumler
- Karen Carpenter (1969 – 1983)
カーペンターズ(Carpenters)は、楽器担当の兄リチャード・カーペンターとヴォーカル担当の妹カレン・カーペンターからなるデュオ。The Carpentersと表記されることが多いが、公式なレコード作品や出版物においては定冠詞なしのCarpentersをクレジットとして用いている。大音量でスピードの速いロックが大勢を占めていた1970年代にありながら、リチャードとカレンはソフトな音楽スタイルを貫きつつ、あらゆる時代を通じて最も大きな成功を収めたグループの1つとなった。
カーペンターズのメロディックなポップ・ソングはアメリカのトップ40やアダルト・コンテンポラリー・チャートの記録を塗り替え、ソフト・ロックやイージー・リスニング、アダルト・コンテンポラリー・ミュージックといったジャンルにおける主要なヒットメーカーになった。カーペンターズには、ビルボード・ホット100チャート1位となったシングル曲が3曲、アダルト・コンテンポラリー・シングル・チャートで1位になった曲が15曲ある。さらに、トップ10入りした曲は12曲に及ぶ。カーペンターズのアルバムおよびシングルの総売上枚数は1億枚を上回ると推定されている。
14年にわたるその活動歴において、カーペンターズは11枚のアルバム(うち『遙かなる影』『スーパースター』『トップ・オブ・ザ・ワールド』『ナウ・アンド・ゼン』『緑の地平線 (ホライズン)』の5枚がトップ10シングル曲を収録)、31枚のシングル、5本のテレビ・スペシャル番組、テレビ・シリーズ番組を1本制作した。アメリカ本国をはじめイギリスや日本、オーストラリア、オランダ、ベルギーなど世界中のさまざまな国をめぐって数多くのツアーを行なった。彼らの音楽上の経歴は、1983年2月4日のカレン・カーペンターの急死によって突然終りを告げる。カレンは神経性無食欲症(いわゆる拒食症)の合併症による心停止のために死去した。彼女の死をめぐる状況については数多くの記事が報道され、その結果として摂食障害の深刻さに関する一般の認識が深まったほどである。
音楽と歌詞のスタイル
カーペンターズの音楽を特徴的なものにした要素の1つは、カレンの用いた低い音域の声である。ジャズやカントリー・ミュージックの分野には見られたが、当時のポピュラー音楽の世界にアルト歌手はほとんど存在しなかった。しかし、カレンはおよそ3オクターヴにわたる広い声域をもっていたのである。リチャードの声もカレンの歌声と非常に相補的なものだと評価されていた。カレンは高い音域の声も出すことはできたが、低音(カレンは自分の "basement" と呼んでいた)ほど特質のあるものではなかった。リチャードはカーペンターズのオフィシャル・サイトのファンからの質問のページで、カレンと自分は彼女の「胸声」に魔法のようなものを感じており、音の豊かさという点では比較にならなかったため、彼女の高音を強調するつもりはまったくなかったと述べている。
カレンの「魔法」が低音域にあったため、リチャードはカヴァー曲はもちろん自作曲もカレンにふさわしいキーで編曲しなおした。カーペンターズの曲の多くはD(「ユー」「見つめあう恋」)、E(「イエスタデイ・ワンス・モア」)、F(「」「トップ・オブ・ザ・ワールド」)、G(「恋よさようなら」「リーズン・トゥ・ビリーヴ」「ふたりの誓い」「ユール・ラヴ・ミー」)などのキーを用いている。カレンはこれらDからGまで、場合によってはA、B、Cも用いているが、こうした芸当のできる歌手は多くないことから、カレンの声域の広さはよく知られている。
歌手であると同時にドラマーでもあったカレンは、1974年まではしばしばドラムも演奏していた。リチャードによれば、カレンは自分を「歌えるドラマー」だと考えていた。5フィート4インチ(163センチメートル)しかなかったカレンは、ライヴでドラムを演奏するとキットの陰に隠れてよく見えなかった。やむをえず2人は、バラードの時にはカレンが立ち上がって歌い、それ以外のあまり有名でない曲の時には座るという妥協案を見出した。年が経つにつれ、カレンがドラムを演奏している時にも彼女のヴォーカルを求める声が高まるようになり、カレンがドラムの前に座る時間は徐々に減っていった。1976年のアルバム『見つめあう恋』のころには、カレンはまったくドラムを叩かなくなっていた。
カーペンターズの音楽は、そのアレンジの見事さによって高く評価されている。アレンジは大抵リチャードが担当し、その手腕は広く賞賛された。アレンジの大半はクラシックのスタイルで、多くの弦楽器や、ときには金管楽器や木管楽器も用いた(「星空に愛を(コーリング・オキュパンツ)」では、160人以上の歌手と演奏家を迎えている)。著名な音楽評論家のダニエル・レビティンは "Electronic Musician" 誌において「リチャード・カーペンターこそ、ポップ・ミュージック界で最も才能あるアレンジャーの1人である」と述べている。
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