バイオグラフィー
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メンバー
- ヒコ
GAUZE(ガーゼ)は日本のハードコア・パンクバンドである。1981年9月結成。自主企画「消毒GIG」をはじめとするライブを中心とした音楽活動は、1990年代以降まで日本のパンクバンドの活動スタイルに大きな影響を与えた。1980年代半ばにはサンフランシスコのファンジン、『マクシマム・ロックンロール』を通じて国外のパンクシーンにも紹介され、日本独自のハードコア・サウンドを代表するバンドの一つとして知られるようになる。公式アルバムは5枚と、25年以上に及ぶキャリアに比して少ないが、いずれもロングセラーを続けている。
現メンバー
* フグ(ボーカル)
* シン(ベース)元チフス
* モモリン(ギター)元・江戸っ子というバンドでドラムを担当。84年の春に一時期脱退するが、秋に復帰。
* ヒコ(ドラム) 1988年10月加入
元メンバー
* ザジ(ボーカル)元ソドム
* ヒロ(ドラム)HIDEMALと共にビデオ「ハードロックの女」に出演。1984年12月に脱退。脱退後はG.I.S.M.などで活動。1st「FUCK HEADS」にはヘルプで参加している。
* イチロー(ドラム)85年6月加入。後にザ・コブラツイスターズで活躍。
* HIDEMAL(ギター)女性ギタリスト。84年、一時期脱退したモモリンの代わりに加入。「ハードロックの女」に出演。THE TRASHのカズシによると、最近亡くなったらしい。
ベースのシンが1980年秋に元あぶらだこのイズミらと結成したバンド「チフス」は、ギターのタムの参加後、1981年に自主企画「法定伝染病GIG」シリーズを開始し、ザ・スターリンらとライブ活動を行うが、メンバーの音楽的方向性の違いから当時ボーカルを務めていたイズミが脱退。2代目ボーカルの田波ケンが加入するが結局メンバーが固定しないまま1981年7月に解散する。
シンはモモリンとGAUZEを結成してUKハードコア・スタイルを志向、1981年11月1日に消毒GIG Vol.1でライブ活動を開始する。フグが加入する前はザジ(ソドムVo)が初代ボーカルだったことがBURST Vol.20の「ADK」同窓座談会で書かれている。 最初の音源リリースはパンク・ニューウェーブ専門誌『Doll』(2009年8月号をもって休刊)が運営するシティーロッカー・レコードからの2枚のオムニバスである。1982年5月リリースのオムニバス『CITY ROCKERS』ではニューウェーブ色の強いバンド(ISOLATION/RADICAL/NURSERY RHYME)との組み合わせであったが、翌年のライブ・オムニバス『OUTSIDER』では、G.I.S.M.、The Comes、LAUGHIN' NOSEとの4バンドでHARD "METAL" COREサイドを構成する。1980年代前半からメタルの要素を色濃く取り入れた日本独自のハードコアの展開を予見する音源となった。シティーロッカー・レコードは新たにハードコア専門のドグマ・レコードを設立してG.I.S.M.とThe Comesのアルバムをリリースするが、GAUZEはこのレーベルからの音源は出していない。
バークリーのカレッジラジオ局のパンク番組『マクシマム・ロックンロール』(MRR)が1982年に創刊した同名ファンジンは、全米のみならず、世界各地のパンクシーン紹介とその音源レビューのコーナーを通じて世界のハードコア・シーンに影響力を持つ様になった。日本のハードコア・シーンも1983年12月から、当初は『Doll』等への取材から始まって、やがて、東京のバンドで活動していたロジャー・アームストロング(Roger Armstrong)のレポートにより、コンスタントに紹介されるようになった。よりメタル色の強いG.I.S.M.やエクセキュートがまず注目されるが、1985年7月、タムの個人レーベルADKレコードからリリースされたGAUZEのファースト・アルバム『FUCK HEADS』や1986年3月のセルフィッシュ・レコードからのセカンド『EQUALIZING DISTORT』も、MRR代表のティム・ヨハナン (Tim Yohannan)や、パンク・アーティストとしても知られるパスヘッド (Pushead)などのレビュアーから好意的に評される。
GAUZEのセカンドを皮切りにリリースされた諸作品により、セルフィッシュ・レコードは日本のハードコア・パンクを代表するレーベルとして知名度を上げた。GAUZE、Lip Cream(元The Comes)、OUTO、GASTUNK、GHOUL、エクセキュートとのコンピレーション『A FAREWELL TO ARMS』はドイツのNuclear Blast Recordsが翌年再リリース、さらに、Lip Cream、SYSTEMATIC DEATH、OUTOとのコンピレーション『THRASH TIL DEATH』はパスヘッドの自主レーベルの共同リリースとなり、パスヘッドは、スケートボード誌『スラッシャー』の担当コラムでこのコンピを紹介した。
1989年にはイギリスでカオスUK (CHAOS UK)とヨーロッパツアーを行い、そのライブ音源が翌年の1990年にリリースされたサードアルバム『限界は何処だ』のCD/LPに「ライブ・イン・スコットランド」として収録されている。(LPの場合A面がスタジオ収録、 B面がライブ録音という感じになった) アメリカ・ツアーは、MRRレビュアーだったケン・サンダーソン (Ken Sanderson) が設立したレーベル、プランク・レコード(Prank Records)の一周年企画として1996年に実現した。
1997年4 月1日に4枚目のアルバム『面を洗って出直して来い』をリリース、更に、廃盤となっていた先行の3枚のアルバムがXXXレコードからデジタル・リマスタリングして再発された。これらの自主制作盤の音源は10年以上に渡ってプレミアム無しで入手できる程に流通している。又、1-4枚目のCDには各アルバムジャケットをリサイズして小さくしたステッカーが封入されている。1980年代から2000年代に至るまで、ストップ・アンド・ゴーのメリハリを基調とする初期ハードコア・パンクの原型を離れること無く追求したGAUZE独自の速くて重いサウンドが一貫している。同時に英語を含む歌詞は極端に減ってきており、近作のアルバムに収録されている曲では完全に日本語の歌詞となっている。
2007年12月5日に発売された10年振りの5枚目のアルバム『貧乏ゆすりのリズムに乗って』も、歌詞カードがブックレットとなり中高年にも読みやすい大きな活字となったことを除けば、(1-4のアルバムはCDよりもLPの大きさに合わせて歌詞をライナーノーツに印字していた為、CDになるとフォントがリサイズされ、かなり小さくなっていた)先行作品からスタイルの点で目立った変化は無い。
2010年5月23日のオフィシャルサイトの発表に依るとメンバーの病気の為、大阪単独GIGは急遽中止になり、それと共にメンバーの病気が回復する迄、活動を休止する事が発表された。
そして、メンバーの病気回復に伴い、2010年9月9日にオフィシャルサイトが更新され、GAUZE復活を意味するlive日程が発表された。
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