バイオグラフィー

ジェネシス(Genesis)は、イギリスのロックバンド。1967年に結成され、60年代はポップ、70年代は叙情的・構築的なプログレッシヴ・ロックとして活動し、80年代にはボーカルのフィル・コリンズの牽引によって世界的なポップバンドとして人気を誇った。

《Members》
Tony Banks (トニー・バンクス)
Mike Rutherford (マイク・ラザフォード)
Phil Collins (フィル・コリンズ)
《Past members》
Peter Gabriel (ピーター・ガブリエル)
Anthony Phillips (アンソニー・フィリップス)
Chris Stewart (クリス・スチュアート)
John Silver (ジョン・シルバー)
John Mayhew (ジョン・メイヒュー)
Mick Barnard
Steve Hackett (スティーヴ・ハケット)
Ray Wilson (レイ・ウイルソン)

《略歴》
イギリス、サリーのパブリックスクール「チャーターハウス」の同級生であったピーター・ガブリエル(Vo.)、アンソニー・フィリップス(G.)、トニー・バンクス(Key.)、マイク・ラザフォード(B.)、クリス・スチュワート(Dr.)が在学中に結成したスクールバンドが母体。

5人のメンバーがグループとして揃うまで、それぞれは様々なバンドに参加していた。1966年にピーター・ガブリエルはアンソニー・フィリップスと共に'The Spoken World'という校外のセミプロバンドに参加。このときピーター・ガブリエルはドラマーとして参加しており、このバンドでレコードデビューを飾っている。アンソニー・フィリップスは校内の'The Anon'というバンドにも参加しており、このバンドにはマイク・ラザフォードがいた。トニー・バンクスはピーター・ガブリエルと個人的に親しく、良く二人で曲を作っていた。このような環境の中、1967年にようやく上記の5人でジェネシスというバンドが形成された。
プロデビューからピーター・ガブリエル脱退まで

「チャーターハウス」の先輩であったミュージシャン兼プロデューサー、ジョナサン・キングのプロデュースで1969年に『創世記』でデビュー。(録音時に、ドラマーはチャーターハウスの級友だったジョン・シルバーに交代)当時アメリカに同名のバンドが存在したためにバンド名をアルバムジャケットにクレジットせずに発売したことや、ジョナサン・キングに気に入られようとビージーズを意識したサウンドだったりしたため、評価が芳しくなく、プロ意識の欠如を反省したメンバーはアートロックの方向性を強く意識し、練りに練った作品をリリースするようになった。

1970年、大学進学のため脱退したジョン・シルバーに代わり、メロディーメーカーのメンバー募集に応募してきたジョン・メイヒューがドラムを担当し2作目の『侵入』をリリース。その後、アンソニー・フィリップスが健康上の理由で脱退(一説にはステージ恐怖症だった)。彼の代わりにクワイエット・ワールド(Quiet World)のメンバーであったスティーヴ・ハケットが加入。さらに、力量に問題があったジョン・メイヒューの代わりにフレミングユース(Flaming Youth)のメンバーだったフィル・コリンズが加入した。二人とも公募によるオーディションで選ばれたメンバーだった。

初期のサウンドはアンソニー・フィリップスの力量によるところが大きかったが、新加入の二人のメンバーの個性が、バンドのサウンドを大きく変貌させる。そして3作目にあたる『怪奇骨董音楽箱』(1971年)でプログレッシブロックバンドとしての評価を確立。ピーター・ガブリエルの演劇性をもった独特のステージパフォーマンスもあって、ヨーロッパで大人気となる。1975年、ピーター・ガブリエルが「幻惑のブロードウェイ」ツアーの後に脱退、以降はソロとして活動している。
フィル・コリンズ主導による黄金期

その後は、3作目以降のドラマーであったフィル・コリンズがボーカルも担当し、よりリズムを強調した新しいプログレサウンドに変化する(フィル・コリンズがボーカルをとることにより、ドラム担当としてビル・ブラッフォードが一時的に加入してライブ活動に加わったりしたが、それ以降はチェスター・トンプソンが準レギュラーとしてライブの時だけグループに参加している)。

さらに、ギタリストのスティーヴ・ハケット脱退後は、ベーシストのマイク・ラザフォードがギターも担当するというトリオ編成となった(ステージではダリル・ステューマーが準レギュラー参加し、ギターとベースを兼任)。3人でレコーディングした1978年発表の『そして3人が残った』では、それまでよりポップス色を深め、アメリカでの人気を不動のものとする。その後、1986年の『インヴィジブル・タッチ』は世界的大ヒットとなり、アルバムのタイトル曲である「インヴィジブル・タッチ」は1986年7月19日付のビルボード・シングルチャートで全米NO.1ヒットとなった。なお、バンドにとってこれは最初で最後の全米No.1となった。その翌週、ジェネシスを1位から引きずり落とし、全米No.1に輝いたのは皮肉にも1975年にジェネシスを脱退したピーター・ガブリエルの「スレッジハンマー」だった。
フィル・コリンズ脱退と活動停止

1996年のフィル・コリンズ脱退後、無名のボーカリスト、レイ・ウイルソン(元スティルトスキン)を正式メンバーに、サポートメンバーにニック・ディバージリオ(スポックス・ベアード)とニア・Z迎え、1997年に『コーリング・オール・ステーションズ』を発表する。ツアーサポートメンバーにニア・Zとアンソニー・ドレナンを加えてアルバムツアーを開始する。イギリス本国やヨーロッパでは好評だったが、アメリカでのセールスに恵まれず、その後1998年にバンドは活動を停止した。
フィル・コリンズ復帰〜現在

2006年11月7日、フィル・コリンズ、トニー・バンクス、マイク・ラザフォードの三人による活動再開と2007年の欧州ツアーが発表された。 2007年5月より「ターン・イット・オン・アゲイン・ツアー」を開始した。

エンジニアのニック・デイヴィスによって、過去のアルバムのSACD化が進められている。

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