バイオグラフィー

ザ・ジャームス(The Germs)は1977年に結成され、1980年に解散したパンクロックバンド。2005年に再結成した。

リードシンガーのダービー・クラッシュが1980年12月7日に自殺したことにより解散してしまうが、彼らがパンクシーンに与えた影響力は大きく、多くのフォロワーを生み出し続けている。ギタリストのパット・スメアはオルタナティブ・ロックバンド、Nirvanaにアルバム『イン・ユーテロ(IN UTERO)』リリース期から参加し、後のフー・ファイターズ (Foo Fighters) の初期メンバーにもなった。

大学の友達だったJan Paul Beahm(ジャン・ポール・ビーハム) とGeorg Ruthenberg (グレッグ・ルーセンバーグ)の二人は非社交的な態度により大学を退学となり、その後バンド結成をし自らの名前をビーハムはDarby Crash(ダービー・クラッシュ)、ルーセンバーグはPat Smear(パット・スメアー)と名乗る。当初、バンド名はSophistifuck & The Revlon Spam Queens(ソフィスティファック& ザ・レボン・スパム・クイーン )と命名されが、その後、余りにバンド名が長かった為Tシャツに名前を入れる際にお金が足らず、短いThe Germs(ジャームス)に改名された。

1977 年にLorna Doom(ローナ・ドーム)をべーシストとして加える。又当時のラインナップにDottie Danger(ドッティー・デンジャー)がドラマーとして入たが、直ぐにバンドを辞める。(彼女は後にThe Go-Go’s (ザ・ゴー・ゴーズ)の シンガーBelinda Carlisle(ビリンダ・カーリスル)として有名になる。)

1978年にDon Bolles (ドナ・ボレス)がドラマーとして加入。唯一1枚のアルバム『(GI)』(ジー・アイ)を完成させる。GIはジャームスのファンであったJoan Jett (ジョアン・ジェット)によってプロデュースされ、後のthe Zeroes(ゼロズ)、the Weirdos(ウィアドーズ)に影響を与えLAパンクシーンを大きく変えるなど、アンダーグラウンドシーンではヒットした。

1980 年12月7日、クラッシュは友人のCasey Cola(キャッシー・コーラ)と共にヘロインの過剰摂取による自殺を図る。クラッシュは死亡し、コーラは生き残る。クラッシュは死ぬ間際に Here lies Darby Crash(ヒア・ライズ・ダービー・クラッシュ)と言う詩を壁に書き残そうとしたが、未完成に終わる。彼の死は多くのジャームスファンにい悔やまれ大きなニュースで報道されたが、その翌日に起こるJohn Lennon(ジョン・レノン)暗殺の事件により一気に掻き消された。

2005年、GERMS結成以前にダービーとバンドを組んでいたミシェル・ベアー・ギャファリが脚本・製作に参加し、ダービーの自伝映画『What We Do Is Secret』が製作される。この作品を機にバンドはGERMS RETURNとして再結成、主演でダービー役を務めるシェーン・ウェストをヴォーカルに迎え、新たに音源のレコーディングを敢行。その新音源はGERMSのオリジナル音源とともに映画全編にわたって使用されている。

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